マラソンとは


マラソンは、誰でも注いだ努力に見合う報いが必ずある」といいます。
努力すれば報われるというのは当たり前のように思いますが、現実の社会においては必ずしもそうではありません。
長い経験から、社会においては多くの場合、トップの好き嫌いの世界で評価されているのが実情ではないかと思います。
正しい公平な評価などあり得ず、どうしてもトップの主観や好き嫌いで評価します。
安倍晋三首相の側近グループによる「お友達内閣」 などいい例です。
小生がマラソンが大好きな理由は『マラソンは実に正直で、公平なスポーツ』で、『マラソンは、決して人を裏切らない』からです。

マラソンには“まぐれ”はあり得ません。運とか偶然の入る余地は全くと言ってよいほどないと思います。
やればやっただけのものが自分に返ってきますが、無いものが引き出されることはありません。
したがって、結果に対しては、「これが今の自分の実力だ」と、素直に受け入れることができます。
練習不足でタイムが遅ければ、「力不足」というよりは「自分が努力を怠ったための当然の結果」と、納得できます。

70歳を超えると、膝が弱って故障しやすく、また加齢のため疲労が取れず、計画通りに練習ができなくなりました。
体力の衰えを否が応でも受け入れざるを得なくなった昨今、
「もう年だ」「これ以上記録は伸びない」と、消極的に考えてしまうことが何度もあります。
しかし、小生の存じ上げているランナーで、60歳代でもすばらしい記録で走っておられる方が何人かいます。
また、日々努力されて、速いタイムを維持しておられる方もいます。

「年には勝てない」と、逃げてしまい、記録を諦めてしまうのは大きな間違いだと思います。
速いもので知らぬ間に7?才になりましたが、この歳でも不可能を可能にすることはできるはずです。

「もう年だから」と言って引き下がってしまう人はたくさんおられるでしょう。
しかし、これでは自分から“もうろく宣言”しているようなものです。
「もう年だから」と、思った瞬間から考え方は保守的になり、老け込んでしまうと思います。

人間は考え方で大きく変わると思います。
「意欲あるものに年齢なく、意欲なき者にはもうろくあるのみ」ではないでしょうか。
不可能と思えるどんな目標も、一日一日の努力を積み重ねていけば、いつの日にか目標達成となって開花すると思います。
青春を謳歌している若者と同じように、何歳になろうとも大志と夢を抱いて、前向きに積極的な姿勢を貫いていきたいと思います。

大昔のことですが、あるマラソン大会で趙友鳳や双子の大南博美・大南敬美姉妹らを育てた
元UFJ 銀行駅伝部監督 竹内伸也さんの講演を拝聴する機会がありました。
その時に、竹内さんは「不可能を可能にする」という言葉を強調されておられました。
小生にとっては、それはそれは非常に耳障りの良い言葉で、今もってその言葉が忘れられません。
小生は今でも、『勇気ある努力が、不可能を可能にする』という言葉が好きです。

マラソンを走っていると、常に故障が付きまといます。
一番苦しいのは、故障で走れないときです。
走れないというのは、力が落ちることです。
一ヶ月練習を休むと、元の状態に戻すのに三ヶ月かかるといわれます。
トップクラスの人ほどトレーニングを積んできているので、より故障の部分も多くなります。
しかし、たとえ故障中でも、その走れない間に何をし、何を考えているかで、選手としての実力に差がついてしまいます。
一番大切なのは、体重を増やさないことと、走る代わりに筋トレ、それからウォーキングや自転車で訓練を続けることです。
これが、できそうで、なかなかできないのです。最終的には、意志の力でしょうか。